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東関道が期待値高めの理由。伸びしろ十分な首都圏の主要路線「東関東自動車道」

首都圏では東京都心から放射線のように都市高速である首都高が伸びていますが、さらに外側を各地方部へとつなぐ路線が伸びています。東名高速道路や東北自動車道がそれにあたります。

そんな首都圏を起点とする主要高速道路の一つに東関東自動車道(以下 東関道)があります。東関道は、他の主要路線にくらべると知名度は低めで、なじみのない方はどのあたりを通っているか知らない方もいらっしゃるかと思います。

東関道は、千葉県市川市の「高谷JCT」を起点に千葉県、茨城県を経由して茨城県茨城町の「茨城町JCT」で終点を迎えます。起点の高谷JCTは、首都高湾岸線や外環道と接続しており、連続で走行することができます。

通っているのが千葉県と茨城県だけということで、他の主要路線より距離も少なめですが、それでも東関道が担う役割は大きく、日々たくさんの方々が利用されます。さらに、東関道はこれからの期待値も高い路線であり、今後はさらに重要度が増すことを考えると今から東関道について知っておくことは大事なことなんです。

そこで、東関道について今後の可能性も含めていろいろとお話ししていきます。

(10月10日更新)
記事公開時点で、千葉県市川市の「高谷JCT」を「高野JCT」と記載しておりました。訂正し、お詫びいたします。

東関道、実は以前は違う路線名だった

東関道、正式名称は東関東自動車道ですが、実は以前に路線名称が変更になった経緯があります。高速道路の路線名が開通後に変更になるケースはかなりレアで、東関道のトリビアの1つであると同時に東関道の歴史を語るうえで重要な事柄です。

東関道が初めて計画にあがったのが1966年で、その際は、東京都心から当時まだ計画・建設段階にあった日本最大級の国際空港である新東京国際空港(現・成田国際空港)へアクセスするための路線として考えられていました。

そのため、1971年10月の初開通時は「新空港自動車道」(以下 新空港道)という名称で開通します。初開通からしばらくは千葉県区間のみの開通でしたが、1972年8月には「成田IC」まで、空港開業の翌日の1978年5月21日に空港の最寄りインターとなる「新空港IC」まで開通します。

新空港道の当初の計画は、千葉市〜成田市でしたが、その後成田市以北までの延伸の計画もできるなどして、空港以外の利用目的も考えられたことから、空港開業の翌年の1979年4月に名称が現在の東関道に変更されました。

ただし、成田IC〜新空港ICはそのまま新空港道の名称が残っており、新空港道は総距離が約3.9kmで2023年9月現在で日本の高速道路でもっとも短い路線となっています。

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